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私、親泊 健は夢と希望を胸にわずかな所持金だけで1980年に単身、沖縄よりロサンゼルスの地を踏みました。当時、ろくに英語も話せず何の技術も持っていない私が就ける仕事はレストランの皿洗いぐらいしかなく、それまで飲食業に携わったことのない私でしたが、何の迷いもなくレストラン業に飛び込みました。そこでまず私の第一の目標となったのは、ロサンゼルス一の皿洗いになることでした。かなりの繁盛店でしたので毎日毎日山のように積まれるお皿との格闘を繰り広げているうちに、ホールに出てお客様のお皿を片付けるバスボーイ、厨房でシェフの手伝いをするキッチンヘルパーを経て、シェフとしての経験を積んでいき、更には、寿司シェフ、鉄板シェフ、バーテンダーなど一通り経験した後、アシスタントマネージャー、そして入社から3年後にはついにマネージャーに就くことができました。
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これらの経験をもとにアメリカでの飲食業の基礎から学ぶことができた私は1984年、わずかな資本を元にロサンゼルス郊外で小さな日本食レストランを開業しました。オープン当初はなかなか思うように売り上げが伸びず、どうしたらお客様が来てくれるのか試行錯誤しながらも、常に最高のフードとサービスを提供すれば必ずお客様が来てくれると信じて日々、努力を続けていきました。
そうするうちに売り上げは徐々に伸びて行き、開店から3年後には更なる挑戦として大型の鉄板焼き専門店を手がけ、それは開店以来すぐに繁盛店となりました。
渡米より10年間、飲食店一筋にまい進してきた私でしたが、ひとつの区切りとしてレストランを売却し、その売却益と銀行ローン、それまで蓄えてきた預貯金すべてを注ぎこんで、1990年にロサンゼルスで最大規模を誇る大型ゴルフショップオープンに大勝負をかけました。 |
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私の第二の夢であったゴルフビジネスは開店当初こそ順調にいっているように見えましたが、競合店との価格競争、アメリカの不景気と不動産暴落、日本のバブル崩壊などの影響も受け、オープンから4年後に事業撤退を余儀なくされ、事実上、負債を抱えて倒産となりました。
ここでスタート地点に戻った私は3年間は大きな行動は控え、失敗した事業のあと片付けと将来の生活設計を考える時間として費やしました。
そして1998年に心機一転、原点であるレストラン業に戻り、決意あらたにスタートを切りました。それから現在に至るまで新店舗立ち上げ、新プロジェクト開拓と全速力で走り続け、大和レストラン4店舗、蔵回転寿司2店舗、全店の中枢としての業務を行う本部オフィス、さらには全米に大和レストラン、蔵寿司を広げるべくフランチャイズ立ち上げと事業拡張をすすめ、現在大和レストラングループ全体で300人以上のスタッフを抱える大所帯となりました。
今後の展望として、日本食という素晴らしい食文化をアメリカに広げることにより、人々がより健康で長生きできる社会を作るために貢献していくのが私の使命とし、常に感謝の気持ちを忘れず、いつかアメリカで成功を収め、私のように大きな夢を持ってアメリカに来る若者たちにわずかばかりでも希望を与えられればと思っています。 |
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